遍路は続くよ

2021年3月から始めた歩き遍路の日記を綴る

2021初遍路 プロローグ

それは58歳の時。校長からとある事情で教育委員会に首席指導主事で戻った時から…。

この先退職を含めてどう生きるかもしくはどう身体を作っていくのか…。椅子に座ってほとんどが会議と電話の一日。どうにかして体を動かすことを考えよう!!が事の始まり。京都ハーフマラソン関門不通過屈辱事件以来走ることからはずいぶんと遠ざかっていた。また走ろうか!まずはエントリー!。どうせ走るならフルマラソン!。2012年11月23日の福知山マラソンにエントリー。上等のランニングシューズ,ランニングウォッチ,ウェアを揃えてのランニング開始。2キロも走るとへとへとからの再出発。力試しに11月3日の丹波ロードレース(ハーフ)にチャレンジ。2時間4分で完走。これはもしかしてサブ4もいけるかとマラソン欲いっぱい。当日はO君に先導をお願いし30キロまで一緒に走ってもらう。しかしそれからの10キロが大変。最後の上り坂に心底ギブアップ。でも結果5時間で完走。以来サブ4目指していろいろハーフやフルにエントリーして走りまくる。

 60歳の時に父が脳梗塞で倒れ,それでも合間を見つけて走っていたが,母も脳梗塞。孫の保育園迎えとかいろいろ重なり,走る時間より体を休める時間を優先。2018年10月28日の横浜マラソン(2017年にエントリーして前夜宿泊までしていたのに雨天中止だったので翌年繰越)は6時間のへとへとマラソンとなりました。ここで走ることは一切やめ。あとは介護支援と孫子育て支援に注力。それが昨年初めの父の他界にはじまり今年初めに母,義父が他界。2年間で3人見送ることになりました。

 介護にも若干の悔いを残し(もっと何かで来たのではないかと),時間はもてあまし気味,走る気力はまだ出ず…。そんな中両親の遺骨を分骨して四国を歩いてみたいという気持ちが時々顔を出す。分骨は骨をこちらの都合で分けては仏が浮かばれないという娘の反対に納得して中止。

 父の輪袈裟,母の金剛杖,義父の数珠をもって歩き始めてみようかという気持ちが少しずつ大きく膨らんできた。